カレンダー


◆2693【05】  ラオス・ジャール・ロック・カレンダー説
https://youtu.be/kUbce34oStk
Hiroshi Hayashi
2018/06/14 に公開
1220+1154
 (ラオスのジャール平原の列石)
【エイブベリーと加茂岩倉遺跡の答え】
 
エイリアンは暦が好きですね
従来は農業と暦が結び付けられていましたが
最近では、石器時代でも正確な暦を作っていたことが明らかになっていますし
もちろん、エイリアンが作ったものでしょうが
どれほど、民衆を操作する力を秘めているのか、現代の我々には計り知れないですね
決まった日時を知る必要があるというのは
エイリアンと神官が待ち合わせ時間を正確に知る必要があるということなのでしょうか
考えさせられます
 
エイリアンは秒単位まで教えてますので、。
よく周波数で交信する話が前(現代)ありましたが、本気でラジオで(コンタクテイが指定された)
周波数を取ろうと思いましたが、ラジオにはない範囲でしたのでがっかりした記憶があります。

カレンダーは王様が変わるたびに代わるくらい大事なのですね。
異星人の種類によって変わったのか。月の暦のほうが大事そうですね。
日本だと月読の尊もいるくらいで。MI-LI LIU
 
◆カルナック (フランス) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/カルナック_(フランス)
カルナック (Carnac、ブルトン語: Karnag)は、フランス、ブルターニュ地域圏、モルビアン県のコミューン。
先史時代のメンヒルであるカルナック列石や、夏の海水浴場として知られている。
地理
カルナックは大西洋に面した町である。東はモルビアン湾、西はキブロンである。
コミューンの標高は高くないが、高原には2,934体の列石が並ぶ。
カルナックの基盤は、本質的に花崗岩層となっている。
このわずかに薄片状の岩は、隆起するとたちまち平板状の塊となり、先史時代のメンヒルをつくるのに最適であった。
歴史
カルナックという名前は、ケルト語のCairnまたはCarn(塚、小高い丘)から生じた。
これは45万年前に人が定住地を築いていたことを意味する。
サン=ミシェルにある古墳は、紀元前5000年から3400年の間につくられたとされている。
基本的に石は、長さが124m、幅60m、高さ12mである。これは特権階級の墓を示していたのではないかと考えられている。
伝説では、ローマ兵に迫害された聖コルネリが、兵士たちを石に変えてしまったと伝えられている。
1864年、カルナックからラ・トリニテ=シュル=メールが分離し、独自の教区をつくった。
漁師たちは港から遠くない場所にサン=コルネリ教会を建てた。
現在、ラ・トリニテ=シュル=メールは別のコミューンであるが、同じ教区である。
1903年、かつての塩田跡に海辺のリゾートが開かれ、1950年代に現在のカルナックをつくった:旧市街はカルナック=ヴィル、海辺の新市街はカルナック=プラージュという。
第二次世界大戦後、コートダジュールが観光地となると、次に観光客らが発見したのがブルターニュの海岸であった。
1974年、ツール・ド・フランスを三度制した自転車競技選手、ルイゾン・ボベが引退後に出資して、
カルナックにハイドロテラピー・センターをつくった。
2007年度の調査で、初等学校に通う子供の10.3%がブルトン語との2言語学校に通っている。
みどころ
聖コルネリ教会(Église Saint-Cornély) - 17世紀から18世紀。王冠をかたどった花崗岩製の天蓋は、
ブルターニュでは例がない。
サン=コロンバン(Village de Saint-Colomban) - カルナックの南西にある、古い集落。
花崗岩でできた家が残る。
住民たちは長く漁業と農業で暮らしてきた。礼拝堂は、聖コラムバに捧げられている。
 
◆カルナック列石 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/カルナック列石
カルナック列石(Carnac stones、Alignements de Carnac)
フランス北西部、ブルターニュ地方のカルナックにある巨石遺構。1996年9月に世界遺産暫定リストに登録されている。
 
◆カルナック巨石群 | フランス観光 公式サイト
http://jp.france.fr/ja/discover/40037
「巨石文明の故郷」
ブルターニュ、カルナックには新石器時代から人類が住んだ痕跡があり、
巨石文化遺跡が残る古い歴史を持つ地方として知られ、特にモルビアン県には多くの遺跡があります。
 
◆カルナック巨石群が存在する理由とは?巨人が作ったものだった?
https://chikyu-corekara.com/archives/504.html
2015/10/14
フランスの北西部にあるブルターニュ地方のカルナックの列石群ですが、大きなメンヒルと呼ばれる長い棒のような巨石が、
何とその総数2792個が列を作って全長約3kmに渡って並んでいます。
紀元前5000〜2000年頃に建てられたもので、墓や記念碑、天文学に使われていたものなどの色々な説があるそうですが、
実際は何に使われていたかは分かってないのが実情です。
実際に立っているメンヒル一つの大きさは、
小さいもので50cmから大きい物で6mにもなり、数メートル間隔でそれらが一直線に並んでいます。
今は倒れてしまっているそうですが、かつては最大で20mにも及ぶメンヒルもあったそう。

カルナックの巨石群は大西洋の沿岸まで3kmに渡って並んでおり、『石の並木道』なんて呼ばれているそうですが、
メネク、ケルマリオ、ケルレスカンという名前で大体1000mごとに大きく3つの地域に分かれています。
真ん中のケルマリオの一端にはドルメンといって、テーブルのような岩や、
メネクとケルレスカンの一端にはストーンサークル(環状列石)も作られています。

メンヒルとは?
メンヒル
https://chikyu-corekara.com/wp-content/uploads/2015/10/7fc6c975ec8c3ec1632a84732d52fa09.jpg
昔のブルターニュ語(ブルトン語)で『長い石』という意味の単語で、単独に直立している立石のことで、
先史時代に建てられた巨石記念物のこと。
イングランドやフランス、ドイツ、スカンジナビアポルトガルなどに代表的なメンヒルが存在しています。

ドルメンとは?
ドルメン
https://chikyu-corekara.com/wp-content/uploads/2015/10/3f745c7cbac099d645d92a25a76d7844.jpg
こちらも古代のブルターニュ語で『石の机』という意味の語源です。
支岩といって、板のような岩を何個か立てて巨大な一枚岩をテーブルのように乗っけたもの。支石墓ともいわれています。
ヨーロッパにはフランスだけでも4000、イギリスに2000、ドイツに1000個も現存しています。
 
◆1641+1607   古代の謎の暦列石(ショリア+エイブベリ+カルナック+ジャール)
https://youtu.be/h_Ruzj7yApA
今日、そのカレンダーにもうひとつ、新しいカレンダーが加わりました。
ロシアの、ウツス・アバカンスキーのロック・カレンダーです。
この情報は、ヤマカワ・ユキオさんという方よりいただきました。
「ショリア山にある列石も、カレンダーではないか」と。
で、調べてみましたが、答えはすぐ出ました。
私、はやし浩司のナスカ理論を応用しました。
つまりそのウツス・アバカンスキーから、ナスカに線を引いてみました。
ビンゴー!、です。
そのウツス・アバカンスキーからの直線と、先にあげた、エイブベリー、ラオスのジャール平原からの直線が、一か所に集まったのです!
もちろんペルーのモレイからの直線とも重なりました。
ウツス・アバンスキー、エイブベリー、ジャール、そしてモレイの、4か所からの直線が、一か所に集まったのです。
が、このMorayは、カレンダーでした。
ストーンヘンジ、エイブベリー、カルナック、ラオスのジャール、それに日本の前方後円墳とならんで、カレンダーでした。

【重要】前方後円墳・カレンダー説byはやし浩司
モレイは、クスコの北西50kmにある、古代遺跡です。
いくつかの段々になっていて、深さはおよそ30メートル。
ウィキペディア百科事典によれば、他のインカ遺跡と同じように、この遺跡は、洗練された灌漑システムということだそうです。

前方後円墳は、カレンダーとしての機能をあわせもっていました。
証拠をそえて、それをこのビデオの中で、証明します。
まず、みなさんに注意していただきたいことは、
円筒埴輪、つぼ型埴輪などが、前方後円墳の周囲に、きちんと並べられていることです。
なぜでしょうか?
なんのためでしょうか?
装飾のためでしょうか?
儀式のためでしょうか?
それとも祭りのためでしょうか?
ちがいます!
が、古代の人たちは、無駄なものはつくりませんでした。
生きるために必要なものを、命がけで作ったのです。

つまりカレンダーです。
 
暦列石、名称の採用ありがとうございます。
はやし氏の動画で、Zhestisay の位置などが紹介されたのが大きなヒントになりました。
ナスカライン理論の一助に成れますよう頑張って探究していきます。
ご指導よろしくお願いします
 
ありがとうございました。
たいへんな遺跡です。
エイブベリーについての、イギリス考古学者の
説が、こなごなに吹っ飛んでしまいましたね。
シベリアの奥地で、前方後円墳が見つかったようなショック
でしょう。
 
これからは、「暦列石(暦列石)by Yukio Yamakawa」と、呼称するようにします。
 
クスコの近くのモレイは、同じ低さを辿ることで今日を知り 季節を把握する。
すると、等低線回廊暦かな (爆)
 
何かのトークン(目印)を置いていたことは、事実だと思います。
そうした小岩が、モレイの近くに並べて捨ててあります。
前回、その写真を動画に載せるのを、忘れてしまいました。
 
+Hiroshi Hayashi  小石を置くことで、細かく日付を知れた。よくわかりました。ありがとうございました。
 
事情は判りませんが 理屈だと誰かに見せる目的で列石などが創られたのですかネ?
ナスカ理論を応用して 古代遺跡探しの旅する人が増えそうですですネ!
 
◆世界最大の巨石遺跡! ゴルナヤ・ショリアを築いたのは巨人族か?
http://machiukezoo.biz/archives/1547
2015/06/27
これはロシア・シベリア南部の山岳地帯ゴルナヤ・ショリアで発見された謎の巨石遺跡の映像です。
2014年、シベリア山脈南部の調査中に偶然発見された遺跡なのですが、見れば分かるように、そのあまりの巨大さに、
ただただ驚いてしまいます!
 
◆ジャール平原 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャール平原
ジャール平原 (英語: Plain of Jars、ラーオ語: ທົ່ງໄຫຫິນ)
ラオス中部のシエンクワーン県、アンナン山脈の北端に位置するシエンクワーン平原に大量の石壺 (Stone Jars)が散らばって
埋められている歴史文化的な場所、あるいはシエンクワーン平原そのものを意味する。
石壺はシエンクワーン平原を中心に400箇所以上で確認されている。

伝説と土地神話
石壺に乗って遊ぶ子供達
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/10/Plainofjars_1.jpg/220px-Plainofjars_1.jpg
考古学者は、これらの石壺は古代モン・クメール族によって、1,500 - 2,000年前に使用されたと考えている。
回収された石壺のほとんどは、紀元前500 - 西暦800年のものである。
人類学者や考古学者の理論は、これらの石壺は骨壷、あるいは食料貯蔵のための容器として使用されたとしている。

ラオスの伝説は、このエリアにかつて巨人の種族がいたとしている。
そしてKhun Cheungと呼ばれる古代の王について伝えている。
彼は長い間、敵と戦い続けて勝利をし、
これを祝うために、大量のラオ・ハイと呼ばれるライスワインを醸造かつ貯蔵するための石壺を産み出したとされている。

1930年代になって最初にジャール平原を調査、研究した西洋人は、
フランス極東学院のフランス人考古学者Madeleine Colaniである。
彼女はチームで石壺のある場所を掘り、ほら穴の近くで、焼かれたものや灰を含む人骨を発見した。
彼女の調査は、様々な発掘が行われた現在においても、最も説得力のあるものである。
 
◆巨人伝説?!謎に包まれた巨石群 ラオス「ジャール平原」
https://www.travel.co.jp/guide/article/8305/
2015/01/26
ラオス北部のポーンサワン(Phonsavan)県には、巨石をくり抜いて作った不思議な壺が転がっている遺跡群があります。
「ジャール平原」と呼ばれるその遺跡は、誰が何のために作ったものなのか、今でもはっきりとしたことは分かっていません。
巨人の酒壺とも、骨壺ともいわれている謎の巨石群「ジャール平原」を訪ねてみましょう。
 
◆「鞆形埴輪(ともがたはにわ)特別公開!」のお知らせ - 大阪文化財研究所
http://www.occpa.or.jp/OCCPA/event_news/2010_event_news/OsakaMuseum2010.html
鞆形埴輪(ともがたはにわ)
http://www.occpa.or.jp/OCCPA/event_news/2010_event_news/2010_event_news_img/OsakaMuseum2010.gif
鞆形埴輪(ともがたはにわ)とは?
クロワッサンのようなかたちをした本体に短い脚台がつく。
弓矢を射るときに弦(つる)が手首にあたらないように左手首に巻いた鞆(とも) という武具を模した埴輪である。
鞆に弦があたって発する音に魔よけの意味が込められていたため、埴輪のモデルになったという説が有力である。
 
◆【ともはにわの碑】
https://www.jalan.net/kankou/spt_22211aj2200151210/
ともはにわの碑について
約1,500年前の堂山古墳から出土した鞆の埴輪を形どった碑。古墳の宝庫磐田の象徴として、
市制施行20周年を記念して建立された。
https://www.jalan.net/jalan/img/1/spot/0151/KL/22211aj2200151210_1.jpg
古墳から出土
市内の堂山古墳から出た「とも埴輪」のオブジェです。
4~5世紀頃から磐田が栄えていた証拠となる貴重な資料だということです。
三角縁四神四獣鏡も出ていて東京の国立博物館で展示されているようです。
見附の図書館隣の埋蔵文化財センターに行くと詳しく知ることが出来ます。
 
◆ともはにわの碑
https://www.jalan.net/kankou/spt_22211aj2200151210/kuchikomi/0001064432/?screenId=OUW2201
市内の堂山古墳から出た「とも埴輪」のオブジェです。
4~5世紀頃から磐田が栄えていた証拠となる貴重な資料だということです。
三角縁四神四獣鏡も出ていて東京の国立博物館で展示されているようです。
見附の図書館隣の埋蔵文化財センターに行くと詳しく知ることが出来ます。
 
◆堂山古墳出土遺物|磐田のみどころ|磐田市役所
http://www.city.iwata.shizuoka.jp/midokoro/bunkazai/bun22.php
堂山古墳は5世紀に造られた県内最大規模を誇る全長約110mの前方後円墳です。
墳丘の大半は学校用地造成のため土取りされました。
墳丘には葺石(ふきいし)を並べ、埴輪(はにわ)を巡らしていました。
http://www.city.iwata.shizuoka.jp/midokoro/bunkazai/img/bun22/img_si0119_01.jpg
埴輪には筒形の円筒埴輪や、鶏、よろい、楯(たて)、鞆(とも)などの形を模した形象埴輪があります。
鞆形埴輪は磐田の古墳文化の象徴として、そのレプリカは磐田駅前などに飾られています。

◆モライ遺跡の観光と謎そして隠れた真実 moray | 絶対に知っておきたい ...
https://latinkun.com/moray
2014/11/20
南米ペルー、聖なる谷ウルバンバにはモライ遺跡(moray)という円形の段々畑があります。
インカ帝国ではこの場所が非常に重要な役割を果たしていたといいます。
その規模や存在理由、観光に役立つ情報をまとめています。
以前記事でご紹介した
マラス塩田の近く、ウルバンバの聖なる谷
には「モライ Moray」という遺跡があります。
この遺跡は実はインカの時代重要なあることに
使われていたという説があります!
そのあることとは何でしょうか??

南米ペルーのミステリーサークルことモライ
さっそく見てみたいと思います。

モライ(Moray)の意味は何?
モライ
http://latinkun.com/wp-content/uploads/2014/11/5674422756_8ef85f929f_z_mini.jpg
・モライ(Moray)はケチュア語で、
「丸くくぼんだところ」という意味です。
丸くくぼんだところ・・・写真を見れば
すぐ分かるように、名前どおりの地形に
なっています!水の波紋のように、規則正しく
綺麗な大きな円形状の段々畑が広がっています。

・モライ遺跡ってどれくらい大きいの?
http://latinkun.com/wp-content/uploads/2014/11/2290568607_e7223ec68a_z_mini.jpg
モライ遺跡は写真等で見ると、大きさが
いまいちわかりませんが、実際行ってみると
思った以上に大きいことがわかります。
なんと1つの円が東京ドームくらいの大きさです。
それぞれの段は一般的な人間の背丈より高いです。
でも、有難いことに?それぞれの場所に階段が
つくられています。階段がないと、一段一段
這い上がることになりますからね(笑)
円を一周するのに歩いて20分くらいかかります。
・モライ遺跡はどういう理由で作られたの?
ペルー モライ遺跡
http://latinkun.com/wp-content/uploads/2014/11/15710004412_40a77ae063_z_mini-540x361.jpg
こんなに大きく、特徴のある不思議な遺跡
何の意味もなく作られたわけはありません!
きっととても重要な意味がこの遺跡にはあるはずです。
見た目でぱっと思いつくイメージだと、
・宇宙人の停留場所・ミステリーサークル?
・大勢の人が入場できる大演劇場??
・神に祈りを捧げる神聖な場所?
などがあげられますが、有力な説はこの中のどれでもありません。
・ここ、実は「農業の実験場」だった(?)と言うのです!
このモライ遺跡は下の段に行くほど、気温が少し
あたたかくなる仕組みになっています。逆に上に
登っていくほど寒くなります。そして、インカの人々
はその段差を利用し、どの気候や環境がその農作物に
1番適しているか研究していたそうです。
更にはより厳しい環境に耐えられるような
品種改良も研究されていたと言うから驚きです。
これを最初に思いついた人は相当頭が良いですね!
いつの時代にも天才はいるものです。
また、この農業説が有力視されているポイントの
1つにモライ遺跡に「水路の後」が
発見されているという事があります。
そう、植物が育つのに欠かせないのは何と言っても水!
農業をするにもその場所に水が引けないことには始まりません。
 
あとがき
いつもいつも関心してしまうのは、古代の人の
恐ろしいほど高い技術です。現代のように、便利な道具
がないはずなのに、それがどんな大きなものであっても
すさまじく正確な円や線を描いています。
実際にその場所を観光する人は皆モライ遺跡に
神秘の力を感じ魅了されるのですが、その要因の
1つがこのインカの人々の厳しい環境を生き抜く知恵と
パワーにあるのではと思っています。
 
◆ジェード - 角閃石 - 輝石 - ケイ酸塩鉱物 - 宝石のリスト - patrickvoillot.com
http://www.patrickvoillot.com/jp/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%89-128.html
19世紀、『ジェード』と呼ばれていた石は2つに区別されることが証明された。: 『ジェダイト』は輝石の仲間.
ジェダイト』は輝石の仲間であり、最も硬度が高く希少な石である。石をはじくと水晶のような音がする。
石は澄み、色は白から濃緑、ラベンダー色のものもある。インペリアルジェードはエメラルドグリーンのジェダイトである。
ネフライト』の石色は暗緑色から白(『羊の油』と呼ばれる)、
カルシウム角閃石で出来ており、トレモライトとアクチノライトの間に位置する石である。
屈折率と比重はジェダイトよりも低い。
宝石学において、この二つの石は共に『ジェード』と表されている。
マグネタイトジェード』はマグネタイトインクルージョンを持つ黒色ジェードの商業名である。
 
◆2693【06】   インドネシア・ポケケア・ロック・カレンダー説
https://youtu.be/NtMN1EF2gJs
Hiroshi Hayashi
2018/06/14 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある
 
◆秋山成人 スラウェシ島
http://www.ifctour.com/palindo/sekijinzou/sekijinzou.html
石造文化について
http://www.ifctour.com/palindo/img/sekijinzou_1.jpg
 石人像の特徴はナプのタマドゥエ村の人物像ペカタリンガとペカセラの彫りは浅いが、全体に整形がなされ、顔が小さく、頸が明瞭で、人に近い体型に彫られている。これに比べ他地域の石像の中には背部の整形が不十分なものがある。各部は深く彫られているが、顔が大きく、頸が短く、口が省略され指が非常に長いものや本数も2本、3本と少なく、抽象化された印象を受ける。(以下に続く)
 
◆2693【08B】日本の前方後円墳・カレンダー説+天文観測所説
https://youtu.be/FQl671nJU4w
Hiroshi Hayashi
2018/06/14 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。
 
◆ティコ・ブラーエの観測装置
http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/eclipse2/tycho_instrument.htm
2015/09/26
全体の解説
このページはティコブラーエの「天文学の観測装置」(「天文機器」とも訳す。Astronomiae instauratae mechanica) の抜粋です。
ティコ・ブラーエの「天文学の観測装置」は 王立図書館 (デンマーク国立図書館及びコペンハーゲン大学図書館) の
ページで読むことが できます (英文)。 トップページの
Astronomiæ instauratæ mechanica - The Royal Library
(天文学の観測装置 - 王立図書館)
に解説があります。少し引用すると
観測装置はティコ・ブラーエと彼のスタッフにより 1570 年代から 1601 年の死に至るまでに 製造され、
その多くは ヴェン島における滞在中 (1576 年から 1591 年まで) に製造された。
ティコ・ブラーエの観測装置は全て失われている。
彼の死後、観測装置は地下室に保存されていたが、1619 年のプラハの暴動で破壊された。
 「巨大な天球儀」(great globe) は コペンハーゲンのラウンド・タワー (円塔) に保存されていたが、
 1728 年の火災で焼失した。
 ヴェン島の建物にはほとんど何も残っていないが、 ウラニボリの庭園のレプリカとステルネボリにある観測装置の基礎構造を見ることができる。 1992 年にティコ・ブラーエの新しい展示が始まった。
訳注: 1619 年のプラハの暴動とは、1618 年 - 1620 年に起き、 三十年戦争の引き金となったもののようです。
 (Czech Uprising of 1618–20 を参照)
ティコ・ブラーエ自身は、
彼の装置を 1598 年の「天文学の観測装置」(天文機器、Astronomiæ instauratæ mecanica、Wandsbek) で述べている。
ここのイラストとラテン語のテキストは (現在はコペンハーゲンの王立図書館にある) 本からのデジタル複製である。
.....
英訳は H. Ræder, E. Strömgren & B. Strömgren, Tycho Brahe's Description of his Instruments and Scientific Work, København 1946 から採用したものである。
 
◆天文観測装置開発の最前線 - J-Stage
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjspe/83/4/83_287/_pdf
福嶋美津広 著 - 2017
今回は,日本の天文観測の要所である国立天文台にある,先端技術センターを訪問してお話を伺いました.
最先端の天文観測を支える開発現場で,精密技術がどのように活かされているのか,
また,今後何が期待されているのかをお聞きしました.
 
◆2693【09】 前方後円墳=天文観測所説+両面埴輪=ヤヌス
https://youtu.be/GmroUP6sNCY
Hiroshi Hayashi
2018/06/14 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。
 
◆ヤーヌス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヤーヌス
ヤーヌス(ヤヌス Janus)は、ローマ神話の出入り口と扉の守護神。
前と後ろに反対向きの2つの顔を持つのが特徴の双面神。物事の内と外を同時に見ることができた神。
表現上、左右に別々の顔を持つように描く場合もある。
一年の終わりと始まりの境界に位置し、1月を司る神である。
入り口の神でもあるため、物事の始まりの神でもあった。
1月の守護神であるのは、1月が入り口であり、年の始まりでもあったためである。
それから来て、過去と未来の間に立つという説明もする。
その役割は、日本の年神によく似ているが、直接の関連性はない。
他の著名な神と異なりギリシア神話にはヤーヌスに相当する神はいない。
英語で1月をいうJanuaryの語源(ヤーヌスの月)でもある。
二つの顔を持つヤーヌス神
 
ヤヌス神殿 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%8C%E3%82%B9%E7%A5%9E%E6%AE%BF
ヤヌス神殿(ラテン語: Templum Iani,イタリア語: Tempio di Giano)は古代ローマのフォルム・ロマヌムにあった神殿。
出入口と扉を司る神であるヤヌスの像が祀られた建物の両側には扉が設けられていた。
この扉は「ヤヌスの扉」と呼ばれており、古代ローマにおいて戦時に開けられ、平時に閉じられていた。
日本語で、ヤヌスの神殿と表記されることもある。
歴史家リウィウスによれば、王政ローマ第2代の王ヌマ・ポンピリウスが、
好戦的なローマ人に対し、信仰を通じて(平和に対する)畏敬の念を抱かせることで平和を維持することができるよう、
ヤヌス神を祀る神殿を建立したという伝説がある。
ヤヌス神殿の建設はヌマ・ポンピリウスの最も偉大な功績であると言われている。
ヤヌスの扉
ヌマ・ポンピリウスの治世下では平和を維持し、このヤヌスの門は閉じられていた。
第3代の王トゥッルス・ホスティリウスはラテン人の都市国家アルバ・ロンガに戦争を仕掛けるため、ヤヌスの門を開いた。
以後、およそ400年間に渡って数多くの戦いを行い、紀元前235年に第一次ポエニ戦争を終えるまで門は開いたままであった。
この時の閉門の期間は8年で終わり、イタリア北部のガリア人と戦うため、再び開門した。
次に門が閉じられたのは、オクタウィアヌスがアクティウムの海戦等で勝利し内乱の一世紀を集結した紀元前28年のことである。

◆両面宿儺 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/両面宿儺
両面宿儺(りょうめんすくな)は上古、仁徳天皇の時代に飛騨に現れたとされる異形の人、鬼神である。『日本書紀』において武振熊命に討たれた凶賊とされる一方で、岐阜県の在地伝承では毒龍退治や寺院の開基となった豪族であるとの逸話ものこされている。
 
オーパーツ? 謎の埴輪「両面人物埴輪」が東京国立博物館で期間限定展示!
http://otakei.otakuma.net/archives/2018030102.html
2018/03/01
オーパーツ」とは作られた時代にそぐわない技術や知識で作られた「場違いな工芸品」を指すとされていますが、
一方で存在が解明されていない謎の遺物に対して使用されることもあります。
そんなオーパーツの一つかも……!と、古代史ファンやオカルトファンらをざわつかせる遺物が、
2006年に和歌山県和歌山市にある大古墳群「岩橋千塚(いわせせんづか)古墳群」の「大日山35号墳」で発見されました。
出土したのは、一つで二つの顔を持つ「両面人物埴輪」(重要文化財)。
この「両面人物埴輪」が、東京国立博物館で3月4日まで開催中の特集
「和歌山の埴輪―岩橋千塚と紀伊古墳文化―」(平成館 考古展示室)で展示されています。
「大日山35号墳」は県内最大級の前方後円墳。6世紀前半のものと考えられており、全長は105メートルと巨大。
2006年に行われた発掘調査では、東西の造出から埴輪郡が良好な状態で発見されました。
しかし、発見された埴輪の中には他に例のない「翼を広げた鳥形埴輪」(重要文化財)に、
弓を入れる道具を模した「ころく形埴輪」(重要文化財)といった貴重な埴輪が含まれていました。
 何より人々を驚かせたのが「両面人物埴輪」の発見。
 背中あわせに二つの顔をもつその埴輪も、大日山35号墳でしか見つかっていません。
 
豊田佐吉語録が知りたい。 | レファレンス協同データベース
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000088284
豊田佐吉語録が知りたい。
●請求記号537.09-003
トヨタはこの遺伝子でできている 障子を開けてみよ。外は広いぞ』(あさ出版、2003.3)
第1章 常に扉を外に開く
「そこの障子を開けてみよ。外は広いぞ」
    ⇒やがて事業家として成功した佐吉が中国上海に工場進出し、周囲の反対を押し切って家族で
       移住した時に語った言葉。
  同書には他に第3章・第5章・第6章にも佐吉の言葉が記載されている。
 
●請求記号280-007
『常に時流に先んずべし』(PHP研究所、2007.8)
第4章 まずやることをクセに
「とにかくやってみよ」
   ⇒喜一郎は佐吉とあることについて議論をし佐吉に勝った。
     その議論において実行してみる価値なしと判断した喜一郎に、佐吉が言った言葉。

第9章 お客様に育てられてきた
「創造的なものは完全なる営業試験を行うにあらざれば、発明の真価を問うべからず」
   ⇒佐吉の言葉で、発明とは価値を生み出すという創造的な行為であり、実際に広く世の中で
          使われてこそ、その意義があるという意味。

第11章 国際スケールの目を持つ
「これはみな外国品ばかりではないか。こんなことで日本の将来をどうする。
今に私は立派な国産品をつくって、きっと外国品を追っ払ってみせる。」
    ⇒明治23年、東京博覧会の機械館に陳列してある機械を指して語った言葉。

 同書には他に第2章・第3章・第5章・第10章にも佐吉の言葉が記載されている。
 
テラコッタ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/テラコッタ
テラコッタ (terra cotta) とはイタリア語の「焼いた (cotta) 土 (terra)」に由来する言葉。以下のような意味をもつ。
1.陶器や建築用素材などに使われる素焼きの焼き物。
2.上記に用いられる粘土のこと。
3.上記 1. または 2. から転じて、そのような色のこと。通常、茶色がかったオレンジ色である。
 
◆2693【10】  アイル船型遺跡・カレンダー説
https://youtu.be/DvDLHbg5gcc
Hiroshi Hayashi
2018/06/14 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。
 
◆2693【11】 女王プアビの神々のカレンダー+世界最古のウルのゲーム盤・カレンダー説
https://youtu.be/e1HwKMpdfXM
Hiroshi Hayashi
2018/06/14 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。
 
◆プアビ王女 | プレアデス星人の日記
https://ameblo.jp/rubvtan/entry-12201009695.html
2016/09/17
私が大好きな故ゼカリアシッチン博士は、遺言として
紀元前27世紀に実在したプアビ女王の遺骨のDNAを科学的に調査してほしいとの遺言を遺しました。
プアビ女王の遺骨は、
20世紀前半にツタンカーメンの王家の墓発掘とほぼ同じ時期にウル(現在のイラク)の遺跡で見つかってます。
このシュメール人女王、シッチン博士によると異星人の遺伝子が入っている(いわゆる半身半神)ので、
真剣にDNAを調べることを遺言としたそうです。
半分異星人じゃなくて、もろ異星人かもしれないですね。
 
◆ウル(古代メソポタミア)のプアビ女王の墓の発掘時の資料とか掘り出してきた
http://55096962.at.webry.info/201708/article_5.html
2017/08/05
発掘されたアクセサリーの復元写真とかはわりとよく見るけど、
発掘現場自体の写真はあんま見ねーなってことでちょっと探してきた。
ウルはメソポタミアの、シュメル人の作った都市国家の一つ。
その王家の墳墓がこれ。
時代は紀元前2600-2500年と推定されている。
 
◆ウル王朝のゲーム | Triangle March
http://trianglemarch.net/blt/2015/01/02/%E3%82%A6%E3%83%AB%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E3%81%AE%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0/
2015/01/02
発掘されたウル王朝のゲーム盤
さて、シュメール文明は不思議です。いろいろと不思議です。
紀元前3800年頃、どこからかシュメール人とよばれる民族が突然高度な知識を持って現れ、
メソポタミアの地に一大文明を築いたのです。
1分が60秒といった60進法や、労働者・失業者を保護する法律、裁判での陪審員制度、議会の二院制など、
現代に生かされている「発明」も多いのです。
そんなシュメール文明の都市の中に「ウル」というのがありまして、
そのウル王朝期の遺跡から、非常に美しいボードゲームの盤が出土しています。
 
◆ウルの盤
http://gokichikai.jp/igoseisei10mepotamiya.html
ウルの盤
メソポタミア(Mesopotamia)の高度な文明
                                            高野圭介
閑話休題
 これほどの盤上ゲームで知的ゲームを楽しんだという足跡はメソポタミア以外に他にありません。
 ここに、憶測を逞しゅうして、チャトランガの大改造で、
四つのゲームに変身させたに相応しいゲームのヒンター・ランドではなかったか。
声を挙げて高らかに宣言したいのです。
 
◆カードゲーム・ボードゲーム - All About(オールアバウト)
https://allabout.co.jp/gm/gc/215682/
2003/11/05
数千年の時空を超えた逸品が手の中に 大英博物館の至宝を購入してきた
上野の東京都美術館で行われている『大英博物館の至宝展』ではお宝のレプリカを買うことが出来ます。
ハリーポッターに登場するチェスセットや5000年前の双六ゲームを手に入れてきました!
執筆者:双六屋 カゲゾウ
上野の東京都美術館で行われている『大英博物館の至宝展』に足を運んできました。(期間 平成15年10月18日から12月14日まで)
世界に冠たる大英帝国のコレクションをこの目で観たいという学術的好奇心に居ても立ってもいられず・・・ というのは建前で真の目的はカード・ボードゲームガイドとしてここのミュージアムショップで売られているゲームを手に入れる為でした。
 
チチェン・イッツァ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/チチェン・イッツァ
チチェン・イッツァスペイン語: Chichén Itzá)は1988年に世界遺産に登録されたメキシコのマヤ文明の遺跡。チチェン・イッツア、チチェン・イツァーとも表記する。
カスティーヨ
カスティーヨ内部には初期のトルテカ=マヤ方式のピラミッドが内蔵されており、
この神殿にはジャガーをかたどった玉座や生贄の心臓を太陽へ捧げたチャクモール像が置かれている。
 
◆トランプ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/トランプ
トランプは、日本ではカードを使用した室内用の玩具を指すために用いられている用語で、
もっぱら4種各13枚の計52枚(+α)を1セットとするタイプのものを指して言うことが多い。
「プレイング・カード」「西洋かるた」とも。多種多様なゲームに用いられるほか、
占いの道具としても手品(マジック)の小道具としてもよく用いられる。
起源についてははっきりしておらず諸説あるが、中国など東方で発生したものがイスラーム圏に、
そしてヨーロッパに伝えられた、とするのが、ひとつの有力な説である(→#歴史)。
日本では16世紀にポルトガルからラテン・スートのタイプが伝来し普及したが、
明治以降の日本では英米式のカードが普及している(→#日本への伝来、#日本で一般的なカード)。
 
◆【全く知られていない】トランプのマークと絵柄の本当の意味 | 雑学・クイズ
http://kerokero-info.com/2015/12/11/post-262/
2015/12/11
雑学クイズ問題. トランプは海外では何と呼ばれている?
 A.54カード.
 B.トランプカード.
 C.ギャンブルカード.
 D.プレイングカード.
 答えは記事内で解説していますので、ぜひ探しながら読んでみてくださいね!
 
◆2693【12重】 フランス・カルナックへの私の答え
https://youtu.be/qgyaPBsJ_ss
Hiroshi Hayashi
2018/06/14 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。
 
◆カルナック (フランス) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/カルナック_(フランス)
カルナック (Carnac、ブルトン語: Karnag)は、フランス、ブルターニュ地域圏、モルビアン県のコミューン。先史時代のメンヒルであるカルナック列石や、夏の海水浴場として知られている。
 
◆カルナック列石 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/カルナック列石
カルナック列石(Carnac stones、Alignements de Carnac)は、フランス北西部、ブルターニュ地方のカルナックにある巨石遺構。1996年9月に世界遺産暫定リストに登録されている。
 
◆2693【13重】 古代のもっとも正確なカレンダー・金星カレンダー・創造主のカレンダー
https://youtu.be/OVzHDLYZn6Q
Hiroshi Hayashi
2018/06/14 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。
 
オリンピアード - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/オリンピアード
オリンピアード (Olympiad)
オリンピックの開催年から始まる4年間の期間であり、この単位は古代のオリンピック暦に基づいてそこから公式に採用された。
オリンピック競技会そのものを指す場合もある
夏季オリンピックの正式名称は「Games of the (回数) Olympiad」で直訳すれば「第(回数)オリンピアードの競技大会」である)。
第○オリンピアード(○は数字)は、第○回のオリンピック開催年を起点とした4年間であり、
競技会が何らかの事由で開催されなくても4年毎に数える。
起点
オリンピック憲章によると「オリンピアードは最初の1月1日から始まり、4年目の12月31日に終了する」と定められている。
近代最初のオリンピックは、1896年4月にアテナイアテネ)で行われた(第1回近代オリンピック)。
したがってオリンピアードの起点は1896年1月1日となっている。
オリンピックは、必ず1オリンピアード(4年間)の1年目に行われ、もし、何かの理由で、その年に大会が中止になった場合も、
そのオリンピアードの残り3年間でオリンピック大会は開かず、その回数はそのまま数えられる。
これまで大会が行われなかったのは、
第6回オリンピアード(1916年)、
第12回オリンピアード(1940年)、
第13回オリンピアード(1944年)の3回で、
いずれも2度の世界大戦(第一次、第二次)のためである。
冬季大会におけるオリンピアード
オリンピック冬季競技大会は、オリンピアード大会と同じ歴年(4年間)に開催されるが、
別個の周期で実施され「オリンピアード」という用語は使われない。
なお、冬季大会は1994年以降、常に夏季オリンピックの中間年に行われる。
 
アーカイブ:金星カレンダー(2020年-2039年): ほんのり光房 blog
http://kuusou.asablo.jp/blog/1970/05/02/7615798
1970/05/02
金星の状態を示すカレンダーです。
観察の参考にどうぞ。色分けは太陽との距離関係、地球との位置関係、地球との距離関係・その他による分類です。
計算・集計は趣味レベル精度のため、精密観測には向きません。
各状態の説明は目次ページ下をご覧ください。
 
◆フリジア帽 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%B8%BD
フリジア帽 とは古代ローマに起源をもつ帽子の一つ。フランスの象徴マリアンヌが被っている。
概要
フリジア帽は赤い三角帽である。この帽子は元来フリギア(フリジア)に起源するとされているが、
古代ローマにおいては、自由身分の解放された奴隷が被るものとして考案された。
この起源からフリジア帽は隷従から自由への解放の象徴とされ、フランス革命ではサン・キュロットの象徴として使用された。
革命期には読み書きのできない民衆に「革命精神」を伝達するために
「フリジア帽とトリコロール旗」や「フリジア帽をかぶせた杖を持つ自由の女神」などの意匠が考案され使用された。
フランス革命後の7月革命の時にウジェーヌ・ドラクロワの描いた「民衆を導く自由の女神」では
自由の女神はフリジア帽を被っている。
これ以後、フリジア帽を被った女神、マリアンヌがフランス象徴となったといわれる。

◆赤き帽子に秘められた操作の比喩(フリギア帽に込められた意味)
http://www.analysis-of-giga-ritual.com/category4-capmetaphor.html
 最初にお断りをなしておく。
 「本記事は視覚的な意味での理解を促すことに重きを置いている。ために、とにかく掲載各図間の関係性に着目してほしい」。
http://www.analysis-of-giga-ritual.com/cap-and-metaphor.jpg
 上を含んでいただいたうえで次に挙げる図像群をご覧いただきたい。
 上段・中断・下段の各段に分けた上で解説しよう(下段は拡大図を含む)。
 上段についてだが、同段における左の図は[フリギア帽をかぶったフランス革命原動力たるサンキュロット]
 (サンキュロットとはフランス革命前の都市労働者階層を指す)を描いたものだ。
 右の図は[フリギア帽をかぶら"された"ルイ16世](フランス革命で処刑された王だ)を描いたものである。
 そこにいう[フリギア帽]、本記事のメイン・テーマとなっている[赤い三角帽子]についてはおいおい触れるとし、話を続ける。
 次いで、中段。同段、左図の方は18世紀後半から19世紀にかけて活躍した英国の風刺画家、
 ジェームズ・ギルレイ( James Gillray )の手による[フランス革命風刺画]だ。
 対し、右の図の方はあまりにも有名な[フランス人権宣言(の中の象徴画)]、
 フランス革命によって採択れた同文書からの抜粋図である。
 下段について、だ。
 そこに見る左の図も右の図も直近、
 中段で作品を挙げたジェームズ・ギルレイの手による作品(革命絡みの風刺画)である。
 とした上で、左の図に関してだけ、もう少し詳しく述べると、[革命期フランスを叙事詩オデュッセイア』に
 登場した怪物、スキュラに例えたもの]である。
 ここでは[スキュラが登場する一幕]も[スキュラ]自体も後に解説するとし、とりあえず[スキュラ]との名前だけを
 押さえておいていただきたい。
 
民衆を導く自由の女神 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/民衆を導く自由の女神
民衆を導く自由の女神(みんしゅうをみちびくじゆうのめがみ、仏: La Liberté guidant le peuple)
ウジェーヌ・ドラクロワによって描かれた絵画。
1830年に起きたフランス7月革命を主題としている。
解説
中心に描かれている、銃剣つきマスケット銃を左手に持ちフランス国旗を目印に右手で掲げ民衆を導く果敢な女性は、
フランスのシンボルである、マリアンヌの姿の代表例の一つである。
絵画としてのスタイル、フランス7月革命というテーマから、絵画におけるロマン主義の代表作と言える。
 
◆フランスの象徴「マリアンヌ」という女性を知っていますか?
http://ja.myecom.net/french/blog/2013/11245/
2013/11/13
今日は、皆さんに覚えてほしいフランスのシンボルを紹介したいと思います。
そのシンボルとは、Marianne(マリアンヌ)という女性です。
マリアンヌはフランス共和国を擬人化したイメージです。
この女性はフランス革命を経て、共和制と自由のシンボルとして知られる「フランスの自由の女神」のような存在になっています。
アメリカでいう、アンクルサムですね。
実際、Marianneマリアンヌのイメージはフランス社会の色んな場面に使われています。
役所内や公的な場所など、ただ一番は切手です~!
私が生まれてからフランス切手はもちろん色々と変わってきましたが、全ての切手(もちろん特集外)の共通デザインはいつも:
キャラクター:マリアンヌ
色:赤(たまに青も) です。 わかりやすいですよね!
 
ユニコーン - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B3
ユニコーン(英語 : Unicorn, ギリシア語 : Μονόκερως, ラテン語 : Ūnicornuus)
一角獣(いっかくじゅう)とも呼ばれ、額の中央に一本の角が生えた馬に似た伝説の生き物である。
語源はラテン語の ūnus 「一つ」と cornū 「角」を合成した形容詞 ūnicornis (一角の)で、
ギリシア語の「モノケロース」から来ている。
非常に獰猛であるが人間の力で殺すことが可能な生物で、処女の懐に抱かれておとなしくなるという。
角には蛇などの毒で汚された水を清める力があるという。
海の生物であるイッカクの角はユニコーンの角として乱獲されたとも言われる。
 
鎌倉時代に金髪のフリーメーソンの武士がいた!: Marche ぷちそれいゆ
http://fanblogs.jp/petitsoleil/archive/195/0
2014/06/12
鎌倉時代、13世紀に描かれた絵巻、「男衾三郎絵詞」 に 金髪の白人らしき武士が描かれています。
これは、ネット民は、一度は目にしたことがある絵ではないでしょうか?
さて、この青い帽子をかぶった人物が何者か? という謎ときですが、
彼の帽子は、ミトラがかぶっているフリジア帽子と同じなのです。
太陽神、ミトラをパクってつくったのが、キリスト教です。
ミトラが生まれたのが、12月25日なのです。
日本でキリスト教が広まらないのは、キリスト教が生まれる以前にあった
ミトラ教弥勒菩薩となって、日本に入ってきているからです。
まがい物の宗教をわざわざ信じる日本人は、少数派なのです。
異形の外国人が三河で暮らしていたのは、海外貿易が盛んだったからでしょう。
青いフリジア帽の白人の隣の武士も似たような帽子をかぶっています。
ミトラ教は、日本へは、弥勒菩薩として伝わっています。
つまり、同じ宗教(ミトラ教弥勒菩薩)を信仰する仲間と海外貿易をし、
異国人も共に合戦に参加し、東海地方にも住みついていたのでしょう。
鎌倉時代に金髪の山賊?(1)
http://tokyo-metanoia.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-320d.html
*男衾三郎絵詞
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/53980241.html
 
◆2693【15重】 ロシアのロック・カレンダー+世界の暦列石はナスカで集まった
https://youtu.be/PILcDNStKn4
 
◆【歴史】いまだ解明されていない世界史の謎 | wondertrip
https://wondertrip.jp/history/95227.html
数千年前のものなのに、現代の科学技術をもってしても、目的や作成者や建造方法が解明できていない。
謎に包まれた不思議な遺構や遺跡が、この地球上にはまだまだたくさんあります。
大昔、確かに存在していたはずの国や都市や、多くの人々。
どんな暮らしをして、どんな歴史を紡いでいたのでしょうか。
現代人を魅了し続ける世界史の謎の数々。
ほんの一部に過ぎませんが、”不思議”の世界へご案内いたします。
この記事の目次
何のために造った?謎が謎を呼ぶ巨大遺跡
王が天に昇るため?「エジプトのピラミッド」
あの巨石たちは誰?「イースター島のモアイ像」
石器時代からあった?「ストーンヘンジ
こんな山奥に!?「ゴルナヤ・ショリアの巨石」
いったいこれは何なのか?不思議な遺構の正体は?
誰にあてたメッセージなの?「ナスカの地上絵」
トルコや欧州各地で見られる「石器時代の長大トンネル」
地味にスゴイ!?「コスタリカの石球」
解読不能?謎の文書「ヴォイニッチ手稿
スケールも規格外!失われた都市や大陸の謎
インカの失われた都市「マチュ・ピチュ」
謎深きインダスの都市「モヘンジョダロ
湖に浮かんだ不思議な都市「ポル・バジン」
実在したのか?「アトランティス大陸
歴史は”不思議”で満ちています!
 
◆古代の巨大建造物遺跡の謎 (939) - 2ちゃんねるブックマーク
https://2ch.vet/re_awabi_archeology_1284044572_724_2000
id:OBl+pqjh 巨大環状列石の証拠発見 英南西部のストーンヘンジ近く ...
id:B2XL7WUx ↓ロシアの南シベリア、ショリア山で巨石構造物が最近発見されて話題になった。
 ... このショリア遺跡と似ている構造物が岡山の密林に眠っている。水平に積み上げ ...
 
オークニー諸島新石器時代遺跡中心地の絶景画像
https://dlift.jp/photo/photoDisplayWorldHeritage738
オークニー諸島新石器時代遺跡中心地の画像 (イギリスの世界遺産
https://dlift.jp/images/spotPhoto/worldheritage738_2_20121229120505.jpg
オークニー諸島新石器時代遺跡中心地の画像です。
リング・オブ・ブロッガー。環状列石の遺跡群。
オークニー諸島最大のメインランド島にある新石器時代の遺跡。
・この遺跡 新石器時代の 定住跡 巨大な墓所と 環状列石 (紀元前3000年頃)
 
◆2693【16重】日本は神々の国+モレイと高千穂をつなぐ謎の点と線
https://youtu.be/NuN_FR_lVvU
 
前方後円墳 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/前方後円墳
前方後円墳 (ぜんぽうこうえんふん)は、古墳の形式の1つ。円形の主丘に方形の突出部が接続する形式で、
双丘の鍵穴形をなす。
主に日本列島で3世紀中頃から7世紀初頭頃(畿内大王墓は6世紀中頃まで)にかけて築造され、
日本列島の代表的な古墳形式として知られる。

◆2693【17重】 日本の縄文12星座+縄文簡易天文観測装置
https://youtu.be/bQo4vp7IpqQ
 
◆12星座早見表
http://www.spin.ne.jp/~sibuya-auto/astrology/seiza.html
かに座, 6/22~7/22, 巨蟹宮. しし座, 7/23~8/22, 獅子宮. おとめ座, 8/23~9/22, 処女宮. てんびん座, 9/23~10/23, 天秤宮. さそり座, 10/24~11/22, 天蝎宮. いて座, 11/23~12/21, 人馬宮. やぎ座, 12/22~1/19, 磨羯宮. みずがめ座, 1/20~2/18 ...
 
黄道十二星座 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/黄道十二星座
黄道十二星座(こうどうじゅうにせいざ、12 ecliptical constellations)
黄道が経過している13星座のうち、へびつかい座を除いた12の星座のこと。
なお、現在では専ら西洋占星術においてのみ用いられる「黄道十二宮」は、
星座そのものではなく等分した黄道上の領域のことをいう。
・おひつじ座(牡羊座、Aries)
・おうし座(牡牛座、Taurus)
・ふたご座(双子座、Gemini)
・かに座(蟹座、Cancer)
・しし座(獅子座、Leo)
おとめ座(乙女座、Virgo)
・てんびん座(天秤座、Libra)
・さそり座(蠍座、Scorpius)
・いて座(射手座、Sagittarius
・やぎ座(山羊座、Capricornus)
・みずがめ座(水瓶座、Aquarius)
うお座魚座、Pisces)
歴史
これらの12星座は、メソポタミア起源で、てんびん座を除けばすべてシュメール時代までさかのぼることができる。
その後、惑星(太陽や月も含む)の通り道にあたるこの場所は重要視され、
天体観測もこの黄道十二星座がある黄道帯を中心に行われるようになった。
シュメール→バビロニアアッシリア→ペルシア→ギリシアと伝来するたびに、いろいろな変化を経てきたものの、
遅くともバビロニア時代には現在の12サインに該当する12星座(現在の12星座と同じではないが)が成立していた。
黄道十二星座は、メソポタミアで星占を取り仕切っていた神官によって設定されたといわれる。
 
◆2693【20R】日本からシュメールに渡った、アヌ王、エンリルそしてエンキ説
https://youtu.be/rzTAEisGw5w
Hiroshi Hayashi
2018/06/16 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。

つづく2015年、発表の動画の中で、アマテラス、イコール、イナンナ・イシュター、またスサノオ、イコール、ウツと発言していますが、まちがいです。
2018年6月現在、アマテラス、イコール、アナヒータ、スサノオ、イコール、ミトラ、ギリシア神話名アポロ説を、私、はやし浩司は唱えています。
最初に、ここでまちがいを訂正しておきます。
 
◆手刀 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/手刀
手刀(しゅとう、てがたな)は、日本の儀礼のひとつである。
大相撲で勝った力士が懸賞を受け取るときに手でおこなう所作もこれに含まれる。
儀礼としての手刀
日本では、人の前を横切る時、または雑踏に分け入っていく際などに、
縦にした片手を体からやや離した位置で小さく数回上下させることがある。
これが「手刀を切る」と呼ばれる仕草である。これは東アジアでは日本特有のもので、特に人混みへ入っていく場合には、
手刀をやりつつやや腰をやや屈め気味にしながら「すみません」「前を通ります」などの言葉を添えて通る場合が多い。
ただし、欧米人の前でこれをやると「なんだこいつは!」となる
(小坂貴志『異文化コミュニケーションのA to Z』 研究社 2007年 ISBN 9784327421700)。
手刀は元々、相手に掌を開いてみせることで、自分が武器を持っていないと表しつつ、
自分が通ろうとしている道をも示すと言う意味を持っていたとされる。
また、腰を低めにすることや言葉を言い添えるのも、謙虚さの体現と言える。
相撲の手刀
大相撲では、幕内の懸賞金のついた相撲で勝った力士が懸賞金を受け取る際に手刀を切る。
この習慣は、昭和10~20年代に活躍した元大関の名寄岩静男が再興したものといわれている。
軍配に向かって左・右・中の順に手刀を切るというものであり、
左が神産巣日神(かみむすびのかみ)、
右が高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、
中が天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)の五穀の守り三神に感謝する礼儀であるとされているが、
「心」の字を書く力士もおり、その場合、懸賞金を受け取った後に4画目を払う動作をしている。
右手で切るのが慣習となっているが、一時期の横綱朝青龍明徳をはじめ左手で切った力士もいる。
 
◆人混みを通り抜けるときにするチョップみたいな動作の正体とは?
https://matome.naver.jp/odai/2139902166945816201
人ごみや狭い場所を通り抜けるときにするチョップみたいな動作の「手刀を切る」文化についてまとめました。
 更新日: 2014年05月05日
 
◆2694「02」 謎の南太平洋・ポンペイ島そしてTAMU山塊for N Yamamoto山本Nさんのためにbyはやし浩司
https://youtu.be/7MKHaOqRz-8
Hiroshi Hayashi
2018/06/17 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。
 
◆タム山塊 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/タム山塊
タム山塊 (Tamu Massif) は、北西太平洋に位置し、活動が休止している海底の楯状火山である[3]。2013年9月5日に発見が発表された。タム山塊は地球で最も大きい火山であり、太陽系においても最大の火山の1つである[1]。日本の東約1,600kmにあるシャツキー海台の中にある。山頂は海面下約2,000m、麓は約6,400mの深さである
 
◆太陽系最大級の海底火山「タム山塊」が噴火したら?|「マイナビウーマン」
https://woman.mynavi.jp/article/140126-22/
2017/08/17
2013年9月、太陽系最大級の火山が発見された。
どこか遠い天体の話かと思ったら、日本から1,600kmほどしか離れていない海底にあるというから、世の中は狭いものだ。
【音速を超えた物体や周りの空気はどうなっているのか?】
もしこの火山が噴火したらどうなるのか? 
桜島の1万2千倍にも及ぶ体積だから、地球の破滅は確実かと思ったが、
海水と水圧のおかげで新しいリゾート地が生まれるぐらいの意外な結果になりそうだ。
 
◆太平洋海底に超巨大火山を発見、太陽系で最大級
2013年9月6日
http://www.afpbb.com/articles/-/2966446?pid=11297776
【9月6日 AFP】地球上で最大で、太陽系で最大の火山にも匹敵する超巨大火山を発見したとの論文が5日、
英科学誌ネイチャージオサイエンス(Nature Geoscience)で発表された。
米テキサスA&M大学(Texas A&M University)のウィリアム・セーガー(William Sager)氏率いる研究チームが発表した
論文によると、タム山塊(Tamu Massif)と呼ばれるこの火山は、太平洋の海底にある台地、
シャツキー海台(Shatsky Rise)の一部で、日本の東方約1600キロに位置している。
タム山塊は、約1億4400万年前の噴火で吹き出した溶岩が盾状に固まった単一の巨大な丸いドームから成っている。
面積は約31万平方キロで、英国とアイルランドを合わせた面積に相当する。海底から頂上までの高さは約3500メートルに達する。
 
◆2694「03」 謎のポンペイ島+謎の南太平洋・人工造成塔説
https://youtu.be/o7FpQWDOEg8
Hiroshi Hayashi
2018/06/17 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。
 
ポンペイ島 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ポンペイ
ポンペイ島(ポンペイとう、Pohnpei)は西太平洋、カロリン諸島にある島。ミクロネシア連邦ポンペイ州に属し、同連邦の首都パリキール (Palikir) の所在地である。かつてはポナペ島と呼称された。ポンペイとはポンペイ語で「石積み (pehi) の上に (pohn) 」という意味。ポーンペイ島とも呼ばれる。
 
◆2694「04」 謎のタヒチ・モーリア島+謎の南太平洋・人工造成塔説
https://youtu.be/dyauc6ENli0
Hiroshi Hayashi
2018/06/17 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。
 
◆モーレア島の見どころ | タヒチまとめサイト
http://stw-tahiti.com/area/morea.html
モーレア島はタヒチ島のすぐ隣り、首都パペーテからフライトわずか10分たらずという至近距離にあります。
緑濃い山々の景色が印象的で、その周りをブルーラグーンが囲む雄大な自然に恵まれた島です。
映画「南太平洋」のモデルとなったモーレア島の神秘的な自然、ゴーギャンが「古城のような」と称した切り
立った峰々の景観が壮厳な秘境の雰囲気を醸し出しています。
言わば洗練されたリゾートライフと素朴な南太平洋の自然が巧みに調和している島がモーレア島と言えます。
リゾート施設は眺望にすぐれた島の北側に集中していて、クック湾や オプノフ湾から緑に煙る山並みを見上げたり、
逆に山頂から望む2つの湾の壮大な景色はタヒチの中でも最も美しい景色と言われています。
 
◆モウアロア山 (バリハイ山) クチコミガイド【フォートラベル】|Mt. Mouaroa (Mt ...
http://4travel.jp/overseas/area/oceania_micronesia/french_polynesia/moorea_island/kankospot/10544677/
モーレアといえばここ!という有名な山で、ドライブしていてもよく視界に入ってくる印象的な形です。
実際に登山したりはしていませんが、硬貨と一緒に撮影してくると良いと教えてもらい、記念撮影したのも良い思いでです。
 
◆世にも奇妙な山 ベスト10
https://www.redbull.com/jp-ja/10-surreal-peaks
世界各地に存在する奇妙な山を紹介する。
「見事な山」のランキングは標高順に並べる場合が多い。しかし、山は高さだけではない。山にはあらゆる形と大きさがある。そして、実際に人目を惹き、訪れる価値があると思える山は非常に奇妙な形をしていることが多い。
パタゴニアの氷に覆われた山から中国の剥き出しの山まで、今回は世界で最も奇妙な形をした、そして奇妙に彩られた山を紹介する。
 
◆2694「05」 オーストラリア・カタツジュータの謎・古代の核実験場
https://youtu.be/Bm0VGkR3MzQ
Hiroshi Hayashi
2018/06/17 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。
 
◆マウントコナー ノーザンテリトリー Mount Conner Northern Territory
http://www.goyouki.com/info/tiiki/MountConner.html
スチュアートハイウェイ(Stuart Hwy)からエアーズロックに向かう途中に見えてくるのが、
このマウントコナーです。ここは、基本的に観光地ではありませんが、リクエストが多い為載せておきます。
位置的には、エアーズロックリゾートからラセターハイウェイ(Lasseter Hwy)で東に約95キロ、
もしくは、アリススプリングスから約350キロの場所にあり、レンタカーかツアーなどで移動中に眺めるのが基本となります。
私有地の為、個人で山のふもとに近付く事は禁止されています。
最近では、このマウントコナーに登るというツアーも行なわれていますが、道は険しく、
日中の日照りなどのコンディションを考えると、遠くから眺める方がお勧めです。
 
◆2694「06」 ブッダの生まれ故郷・ルンビニの謎+謎の南太平洋
https://youtu.be/ewyb7ZQcH0Q
Hiroshi Hayashi
2018/06/17 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。
 
ルンビニ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ルンビニ
ルンビニ(Lumbini、藍毘尼 लुम्बिनी)は、ネパールの南部タライ平原にある小さな村。仏教の開祖・釈迦(本名・サンスクリット語:ガウタマ・シッダールタ)の生まれたとされる地。仏教の四大聖地の1つでもある。
 
ルンビニ
http://isekineko.jp/budda-lumbini.html
お釈迦様がお生まれになったルンビニ
かっての王宮の庭園はインドとの国境にほど近いネパールにあります。
生誕の地として四大仏跡の一つとされ、世界遺産にもなっています。
後に悟りを開き仏陀となれられるガウタマ・シッダールタゴータマ・シッダッタ)は
釈迦族の王であるスッドーダナ王(淨飯王)と后であるマーヤー夫人(摩耶夫人・マヤデヴィ)の長男として生まれました。
生まれた年については諸説があり、紀元前5世紀ころとしか分かりません。
日本では仏陀・お釈迦様の誕生日を祝う降誕会を4月8日に行いますが、
南アジアの仏教国ではインド暦第2の月の満月の日に誕生したとされています。
 
◆お誕生の地 ルンビニ|トラベルサライで行く 仏跡の旅
http://saray.co.jp/busseki/600/
ルンビニルンビニー)はネパール南部のタライ平原中央に位置し、インドと国境のあるバイラワの東約22kmにあります。
ここは仏教の開祖「釈迦牟尼仏陀」が生まれられたところで、仏教徒にとって大切な釈尊四大聖地のひとつに数えられ、
1997年にはユネスコ世界遺産に登録されました。
釈尊がお生まれになった地には母親のマーヤ夫人を記念したマヤ堂があり、日本の仏教会の援助もあって、
世界的建築家「丹下健三」氏の計画、設計により、各国の寺院が建ち並ぶルンビニ園になっています。
また、近郊には釈尊の生国であるカピラ城の跡といわれるティラウラコット遺跡や釈尊が涅槃の後に建立された
仏塔のひとつラーマグラーマ仏塔などがあります。
日本からの参拝者も多く、「ルンビニ・ホッケ・ホテル」や「ホテル笠井」など、日本のホテルがあるのも特徴的です。
 
イースター島 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/イースター島
イースター島イースターとう)は、チリ領の太平洋上に位置する火山島。
現地語名はラパ・ヌイ(ラパ・ヌイ語: Rapa Nui)。
また正式名はパスクア島(パスクアとう、スペイン語: Isla de Pascua)と言い、
"Pascua"はスペイン語で復活祭(イースター)を意味する(後節も参照)。
日本では英称由来の「イースター島」と呼ばれることが多い。
モアイの建つ島として有名である。ポリネシア・トライアングルの東端に当たる。
最も近い有人島まで直線距離2000km余と、周囲には殆ど島らしい島が存在しない絶海の孤島となっている。
「ラパ・ヌイ」とはポリネシア系の先住民の言葉で「広い大地」(大きな端とも)を意味する。
かつては、テ・ピト・オ・ヘヌア(世界のへそ)、マタ・キ・テ・ランギ(天を見る眼)などと呼ばれた。
これらの名前は、19世紀の後半に実際に島に辿り着けたポリネシア人が付けたものである。
 
イースター島の先住民を滅ぼしたのは、人ではなかった…遺跡調査から判明
https://www.sankei.com/wired/news/150131/wir1501310001-n1.html
2015/01/31
イースター島から住民が消えた学説のひとつが、新たな発見によって裏づけられた。
ラパ・ヌイ(イースター島の現地語名)のポリネシア系住民は、環境条件による危機に直面していた。
ヨーロッパ人の病気がやって来たのは、その後のことだった。
雑誌『PNAS』(Proceedings of the National Academy of Sciences)で発表されたばかりのある研究が、
イースター島として知られている島、ラパ・ヌイの先住民の消滅をもたらした要因についての学説を提示している。
ニュージーランドオークランド大学の人類学教授、セイン・ラディフォギッド率いる研究チームによると、
わずか63平方キロメートルの大きさの島から住民が消えたのを決定づけたのは、過酷な環境条件だった。
南太平洋のこの島に住んでいたポリネシア系先住民は、新しく収集された情報によると、
ヨーロッパ人の到来より前にすでに消滅への道をたどっていたようだ。
 
◆2694「07」  USA謎のサーペント・マウンド・道路標識説+謎の南太平洋
https://youtu.be/q0DaFoSf1o4
Hiroshi Hayashi
2018/06/17 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。
 
◆サーペント・マウンド - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/サーペント・マウンド
サーペント・マウンド(Serpent Mound)
アメリカ合衆国オハイオ州、アダムス郡、ブルシュ=クリーク河谷(Brush Creek Valley)の東岸、
川からの比高差30mの段丘上にある全長約404m(蛇に見立てた場合のマウンドの全長は、約435m)、
墳丘の高さ1 - 1.5m、「胴部」の幅6mに達する蛇の形をした形象墳(effigy mound)である。
アメリカ合衆国内で最大規模の形象墳と考えられている。
 
◆ブーシーリス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9
ブーシーリス(古希: Βούσιρις, Būsīris)は、ギリシア神話の人物である。
長母音を省略してブシリスとも表記される。
エジプト王エパポスの娘リューシアナッサとポセイドーンの子で、アムピダマースの父。
ブーシーリスは残虐なエジプト王で、異国人をゼウスの生贄にしたが、ヘーラクレースに退治されたとされる。
このブーシーリスの名は明らかにエジプトのオシリス信仰の中心地ブシリスに由来している。
エウリーピデースはサテュロス劇『ブーシーリス』を書いたが散逸した。
 
◆2694「09」 ナスカのUSA+USAの謎の古代遺跡
https://youtu.be/c55WtGWV_IM
Hiroshi Hayashi
2018/06/17 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。
 
◆2694「10」 テオテイワカンの謎の参道+古代遺跡
https://youtu.be/wVOVD7EYj1w
Hiroshi Hayashi
2018/06/17 に公開
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。
林先生
点と線は確実な事と確信してます。
大昔かしら宇宙人が来て
今で言う神(キリスト、仏)を敬ったと思います。
 
テオティワカン - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/テオティワカン
テオティワカン(ナワトル語: Teōtīhuacān、スペイン語: Teotihuacan)
メキシコの首都メキシコシティ北東約50キロの地点にあり、紀元前2世紀から6世紀まで繁栄した、
テオティワカン文明の中心となった巨大な宗教都市遺跡。
当時のアメリカ大陸では最大規模を誇り、メソアメリカの中心的都市として機能していた。
 
◆「神々の都市」テオティワカン衰退の謎! - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2133408984644487001
2012/04/14
テオティワカンーーー建物一つを見ても、そこに住んでいた人々がかなりの高度な建築技術を持っていたことが分かります。
また、最盛期には20万人以上の人が暮らしていて、翡翠や黒曜石も出土しており豊かな生活を送っていた様ですが、
7世紀頃に衰退していきました。
わずか100年ほどの出来事だったそうです。
 
モヘンジョダロ
http://isekineko.jp/pakistan-mohenjyodaro.html
パキスタン南部に位置するモヘンジョダロ
モヘンジョダロとは「死者の丘」という意味。
インダス文明最大の遺跡は古代の計画都市でもあります。
 
◆古代核戦争跡地!?モヘンジョダロとは - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2133812678463973001
2012/05/28
遥か昔に核戦争があったと言う話を信じますか?
モヘンジョダロという遺跡があるのですが、その遺跡からは不自然な白骨死体が見つかっています。
なんと高熱に晒された様な形跡があり、
通常の50倍の放射能が検出されているのだそうです他にも核の攻撃を受けたような形跡は見つかっています。
非常に謎の多い遺跡です
 
ブライスの巨人 | 歴史・古代文明と世界のミステリー
http://historyholic.blog114.fc2.com/blog-entry-147.html
アメリカの大地に刻印された地上絵.
アメリカ、カリフォルニア州南西部、アリゾナ州との州境近くの荒涼たる大地に描かれた巨大地上絵が、
通称「ブライスの巨人」と呼ばれるものである。
明らかに人型をしたその地上絵の長さは54メートル。
すぐそばに動物や幾南学模様などの地上絵もあるが、ナスカのそれと同様、地上からは識別しにくく、
いずれも全貌は上空からしか捉えることはできない。
造る際もナスカと同じく表面の黒っぽい堆積物を取り除き、下の明色の土壌を露出させる方法で表されている。
ブライスの巨人は1931年、地方の航空会社のパイロットによって飛行中に偶然、発見された。
制作年代は10~18世紀ごろと推定され、おそらくこの地のネイティブ・アメリカンの神話と関係があるといわれているが、
製作目的などの明確な答えは、現時点では出ていない。
ちなみにブライスの巨人には、どうやら正式名称がふたつあるらしい。
ひとつはカリフォルニア州の命名で「砂漠の巨人のフィギュア」、もうひとつは内務省の命名で「ブライスの沈み彫り」である。
同地上絵は損傷を恐れてか、現在は周囲をフェンスで囲まれている。
 
ブライス・インタグリオス、アメリカにもある巨人や動物の地上絵
http://bashoh.com/2015/02/blythe-intaglios/
2015/02/15
ブライス・インタグリオス、アメリカにもある巨人や動物の地上絵
カリフォルニア州コロラド川の近くに、ナスカの地上絵のような巨大な地上絵があります。
3つの場所に分かれていて、人型や、長い尾のついた4本足足の動物、蛇、更には数字などが描かれています。
 
アメリブライスの笛を吹く人 | megalithic Pyramid of Japan - 楽天ブログ
https://plaza.rakuten.co.jp/yomiya/diary/201411130001/
2014/11/13
アメリカリフォルニア州ブライスの南西に「笛を吹く人」(勝手に命名)の地上絵があります。
近くには「ブライスの巨人」と言われる太古の地上絵もあります。
ブライス周辺には、いろんな幾何学模様や動物の絵もあるので探してみると面白いですよ。
33°37'43.30"N114°45'12.05"W