●ヒマラヤ聖者の生活探求・錬金術・宗教


◆『ヒマラヤ聖者の生活探究』その2 | ぴっころと愉快な仲間たち
https://ameblo.jp/london-piccolo/entry-10335341804.html
1巻に仏陀の言葉が
寝入る前に
「わが内は常に若く、常に美しい霊的な喜びで満たされている。わが心も目も鼻も口も皮膚も美しい霊体である。
わが身体は神の子の身体であり、今宵いま完全である」
とわれとわが身に語り聞かせるがよい。
 
朝は起きながら、自分自身に次のように暗示するがよい。
「(自分の名を呼びながら)さあ、愛する者よ、内には神聖なるアルケミストがいるぞ」と。

幼な子のように愛らしく微笑む練習をするがよい。魂からの微笑みは霊的くつろぎである。
本当の微笑みは真に美しい「内在の死することなき支配者」の美術作品である。
 
◆■2014/05/23『ヒマラヤ聖者の生活探究』
http://www.radiance.gr.jp/article/detail.php/329/50249/
「ヒマラヤ聖者への道」という本の中の記述です。
寝る前と、朝起きたときに、自己暗示をすると良いことが起こります。
寝る前に
「我の内は常に若く、常に美しい霊的な喜びで満たされています。
我が心も目も鼻も口も皮膚も美しい霊体です。
我が身体は、神の子の身体であり、今宵今完全である」と。
自分と自分自身の体に語り聞かせると良い。
この祈りを繰り返し、寝入りながら静かにそのことについて瞑想すると良い。
朝は、
目覚めながら自分自身に次のように暗示すると良い
「(自分自身の名前を呼びながら)
さあ愛する者よ、内には聖なるアルケミスト錬金術師)がいる」と。
夜中に植え付けられた祈りの霊的パワーにより、変容が怒り、内部の霊的実相が開眼して、霊体、霊宮に浸透していきます。
内在のアルケミストが死せる細胞、疲れ果てた細胞を捨て、金の如く新しい細胞という純金を生成し、
永遠の健康と美を著していきます。
 
アルケミスト - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%88
アルケミスト (alchemist) は、錬金術師(錬金術(alchemy)に携わる研究者)を指す英語である。
 
◆alchemistの言及
【化学】より
chēmeiaはアラビア語ではal‐kīmiyā’(alはアラビア語の定冠詞)となるが,この語は後にヨーロッパに受け継がれ,
英語ではalchemy(錬金術と訳されることが多い。これに従事する人はalchemist錬金術師という)と呼ばれるようになった。
アラビアにおける錬金術は,ハールーン・アッラシード(在位786‐809)の治下の時代に生きた
ゲーベル(ジャービル・ブン・ハイヤーン)においてその頂点を極めた。
 
錬金術
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93
錬金術(れんきんじゅつ、亜: خيمياء 羅: alchemia, alchimia 英: alchemy)
最も狭義には、化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に金)を精錬しようとする試みのこと。
広義では、金属に限らず様々な物質や、人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す。
古代ギリシアアリストテレスらは、万物は火、気、水、土の四大元素から構成されていると考えた。
ここから卑金属を黄金に変成させようとする「錬金術」が生まれる。
錬金術はヘレニズム文化の中心であった紀元前のエジプトのアレクサンドリアからイスラム世界に伝わり発展。
12世紀にはイスラム錬金術ラテン語訳されてヨーロッパでさかんに研究されるようになった。
17世紀後半になると錬金術師でもあった化学者のロバート・ボイルが四大元素説を否定、
アントワーヌ・ラヴォアジェが著書で33の元素や「質量保存の法則」を発表するに至り、錬金術は近代化学へと変貌した。
錬金術の試行の過程で、硫酸・硝酸・塩酸など、現在の化学薬品の発見が多くなされており、実験道具が発明された。
これらの成果も現在の化学に引き継がれている。
歴史学者フランシス・イェイツは16世紀の錬金術が17世紀の自然科学を生み出した、と指摘した。
 
◆ヘレニズム - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0
ヘレニズム(Hellenism)とは、ギリシア人(ヘレネス)の祖、ヘレーンに由来する語。
その用法は様々であり、アレクサンドロスの東方遠征によって生じた古代オリエントギリシアの文化が融合した
ギリシア風」の文化を指すこともあれば、時代区分としてアレクサンドロス3世(大王)(在位前336年 - 前323年)の
治世からプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの約300年間を指すこともある。
また、ヨーロッパ文明の源流となる2つの要素として、ヘブライズムと対置してヘレニズムが示される場合もある。
この場合のヘレニズムは古典古代の文化(ギリシア・ローマの文化)におけるギリシア的要素を指す。
古代オリエント文化との融合
アレクサンドロス大王の東方遠征によって東方の地域に伝播したギリシア文化が、
オリエント文化と融合して誕生した文化を指してヘレニズム文化と称する場合がある。
この文脈でヘレニズムの語を用いたのは、19世紀ドイツの歴史学者ヨハン・グスタフ・ドロイゼンである。
ドロイゼンの功績は、それまでマケドニアによるポリス征服までが古代ギリシア史の重要範囲とされていたため、
ほとんど省みることがなかった征服以降の時期に脚光を当てたことである。
これによって、多くの研究者の関心がこの時代に向かい、研究が前進することになった。
 
◆ロバート・ボイル - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%AB
ロバート・ボイル(Sir Robert Boyle、1627年1月25日 - 1691年12月31日)は、アイルランドリズモア(英語版)出身の貴族、
自然哲学者、化学者、物理学者、発明家。神学に関する著書もある。ロンドン王立協会フェロー。
ボイルの法則で知られている[2]。彼の研究は錬金術の伝統を根幹としているが、近代化学の祖とされることが多い。
特に著書『懐疑的化学者』 ( The Sceptical Chymist) は化学という分野の基礎を築いたとされている。
 
◆ロバート・ボイル | 歴史のひとこま - jw.org
https://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E9%9B%91%E8%AA%8C/g201303/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%AB/
歴史好きの人は,ロバート ・ ボイル と聞くと,ボイルの法則を思い浮かべるでしょう。
気体の体積と圧力との関係を示すその法則の発見は,科学の分野におけるその後の
大きな発展の礎となりました。しかし,ロバート ・ ボイルは単なる優秀な科学者ではありません。
神とその霊感を受けたみ言葉 聖書に強い信仰を持つ人でもありました。
 
◆アントワーヌ・ラヴォアジエ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/アントワーヌ・ラヴォアジエ
アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエ(ラボアジェなどとも、フランス語:Antoine-Laurent de Lavoisier, [ɑ̃twan lɔʁɑ̃ də lavwazje]、1743年8月26日 - 1794年5月8日)
フランス王国パリ出身の化学者、貴族。
質量保存の法則を発見、酸素の命名、フロギストン説を打破したことから「近代化学の父」と称される。
1774年に体積と重量を精密にはかる定量実験を行い、化学反応の前後では質量が変化しないという質量保存の法則を発見。
また、ドイツの化学者、医師のゲオルク・シュタールが提唱し当時支配的であった、
「燃焼は一種の分解現象でありフロギストンが飛び出すことで熱や炎が発生するとする説(フロギストン説)」を退け、
1774年に燃焼を「酸素との結合」として説明した最初の人物で、1779年に酸素を「オキシジェーヌ(oxygène)」と命名した。
ただし、これは酸と酸素とを混同したための命名であった。
 
◆歴史人物 ラボアジェ(1743年から1794年) - 毛呂山町
http://www.town.moroyama.saitama.jp/www/contents/1291104437756/index.html
アントワーヌ=ローラン・ド・ラボアジェ、1743年、フランスのパリ生まれ。
 裕福な家庭に生まれる。
 法律を学び、弁護士の資格を取るが、個人的に化学の研究をつづけ、論文を書いていた。
1768年、いくつかの論文が認められ、パリ科学アカデミー会員となる。
燃焼が酸化現象であることの証明、化学反応の前後では質量が変化しないという質量保存「ラボアジェの法則」の発見など、
熱関連近代科学の樹立者として知られる。
1794年、貴族出身であったため、フランス革命で処刑されてしまった。
 
マケドニア
https://www.y-history.net/appendix/wh0102-092.html
 マケドニアアレクサンドロスの出現など、世界史の中で重要な国名であるが、古代のマケドニアと現代の
 マケドニアには直接的なつながりはない(国家意識としては継承されているだろうが)ので注意を要する。
 マケドニアは、古代のマケドニア王国と現代のマケドニア(正式国名はマケドニア旧ユーゴスラビア共和国)とは
 領土の一部は重なっているが、民族的には連続性がない。
 古代マケドニア王国は古代ギリシア人が建てた国で、エーゲ海北岸から内陸の山岳地帯にひろがり、
 そのほとんどは現在のギリシアに属する。
 ビザンツ帝国の時代の6世紀頃から南スラヴ人が南下して定住するようになり、スラヴ化が進むみ、
 9~11世紀のビザンツ帝国の全盛期にはマケドニア出身者が皇帝となってマケドニア朝が成立した。
 その後、イスラーム教徒のオスマン帝国の支配を受けたことで大きく変貌し、
 オスマン帝国からの独立を模索する時代が続き、1945年にユーゴスラヴィア連邦を構成して独立した。
 1991年に連邦から独立したのが現在のマケドニアであるが、その領土は古代マケドニアとは一致せず、
 その北に接している。
 
◆ポリス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ポリス
ポリス(希: πόλις, 複数形 πόλεις)は、都市、都市国家、市民権または市民による政体を指すギリシア語である。古代アテナイなど古代ギリシアに関して使用される場合は、通常都市国家と訳される。
 
◆語義の歴史
ポリスとアクロポリス
πόλις(ポリス)という語は古典ギリシア時代のアルカイック期には、まず「砦・城砦・防御に適した丘」を意味した。
エミール・バンヴェニストはポリスはἀκρόπολις(アクロポリス)に由来するとしている。
アクロポリスとは、「小高い丘、高いところ、城市、成山、平地内の孤立した丘」を意味し、ポリスの中心部となる丘で、
のちギリシア都市国家のシンボル的な存在ともなった。
通常、防壁で固められた自然の丘に神殿や砦が築かれている。
アクロポリスは当初は対外的軍事拠点つまり城砦であったが、B.C.7世紀には
ポリス市民(近代的市民社会を構成するような個人ではなく家政機関たるοἶκος(オイコス)の長達の共同体成員)の
信仰の対象ともなり、都市国家における共同体の絆のシンボルとして神殿が築かれ、ポリスの守護神を祭った。
ただし、ギリシア歴史時代においてもなおπόλις(ポリス)は「要塞・城砦」を意味した。
たとえばトゥキディデスは「アクロポリスアテナイ人からいまでもポリスと呼ばれている」と記している。
バンヴェニストはこの用法を、ヴェーダ語の対応語pur(砦)やリトアニア語のpilis(城、城砦)との比較から、
先史的な語義としている。
のちπόλις(ポリス)は都市の発展により、周辺村落を含む国家を指すように変化する。
さらに土地所有者間における市民権概念の出現により、市民全体、市民集団を指すようになった。
古代ギリシア時代アルカイック期には、以下のように語義が変遷した。
・城砦(アクロポリス
・建設された都市国家
・都市の開祖
・国家及び市民権
・市民集
 ・古代ギリシア人は、アテナイ、スパルタ、テーバイなどのポリスの単位ではなく、
  アテナイ人、ラケダイモーン、テーバイ人という単位で考えていたともいう。それゆえ「市民集団」という意味は、
  ポリスという語の最も重要な意味となった。
 
◆フランセス・イエイツ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/フランセス・イエイツ
フランセス・イエイツ(フランシス・イェイツ、Frances Amelia Yates、1899年11月28日 - 1981年9月29日、女性)
イギリスの思想史家。「プラトン・アカデミー」等、ルネサンス期のネオプラトニズム関連研究をおこなっている。
イングランドハンプシャーポーツマスに生まれる。ロンドン大学卒業、大英博物館に務める。
ジョルダーノ・ブルーノの翻訳論文がきっかけで、当時ロンドン大学付属ウォーバーグ研究所に在職中だった
エドガー・ウィント(Edgar Wind)と知り合い勤務、後にはエルンスト・ゴンブリッチ等とも同僚となった。
晩年はウォーバーグ研究所名誉研究員になった。
アビ・ヴァールブルクの論考に決定的な影響を受け、ルネサンス期の精神史研究に没入していった。
著書は十数冊出されており、清水純一ら、日本人ルネサンス研究者とも交流があり、生前に日本語訳が出版されている。
1970年代初頭に、山口昌男『本の神話学』(初版:中央公論社/新版:岩波現代文庫)で紹介、林達夫も評価していた。
他に村上陽一郎 『フランセス・イエイツ考』(「ヴァールブルク学派」所収、平凡社、1998年)がある。
 
◆417夜『世界劇場』フランセス・イエイツ|松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/0417.html
いまではジョン・ディーやロバート・フラッドを知らないまま、エリザベス朝の文化やシェイクスピア時代の演劇を
議論することができないことは誰もが知っているだろうが、フランシス・イエイツが一連の研究書を発表するまでは、
そんなことはごく一部の好事家か、神秘主義に取り憑かれている者の戯言だとおもわれていた
(ちなみに本訳書はフランセスと表記しているが、ぼくはフランシスとしておきたい)。
その一連の研究書というのは、『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス的伝統』『記憶術』、そして本書『世界劇場』だった。
このあともイエイツは魔術的ルネサンスと宇宙的エリザベス朝の研究を続け、その一冊ずつが瞠目すべき成果をあげたので、
ここで初期の3冊だけを、ましてや『世界劇場』だけをとりあげるのはしごく勿体ないことであるけれど、
本書一冊だけでも存分にイエイツの真骨頂は発揮されているので、以下はそのおもいきった紹介に努めたい。