◆残念と無念


◆ならず者(ならずもの)の意味・語源・由来
【意味】 ならず者とは、素行の悪い者。ごろつき。
【ならず者の語源・由来】
「ならず」は「成る(なる)」に打消しの助動詞「ず」が付いた語。
「どうにもならず」の意味から「手に負えない」という意味が生まれ、素行の悪い者を「ならず者」と呼ぶようになった。
1994年にクリントン大統領が、自らにとって好ましくない国家を「ならず者国家rogue states)」と発言して以降、この言葉は議会やメディアで用いられるようになった。
 
◆ならずもの【ならず者・破落戸】
ごろつき。わるもの。無頼漢。
 
◆なら ずもの [0] 【ならず者】
①手に負えない者。素行の悪い者。ごろつき。無頼漢。放蕩者。
②生活がままならない者。 「金の才覚-と/浄瑠璃・長町女腹切 中」
 
◆ならず者
 意義素     類語
陽気でいたずら好きな人 いたずらっ子 ・ 腕白
 意義素     類語
邪悪であるか凶悪な人 大賊 ・ 大凶 ・ 溢者 ・ 破落戸 ・ 極悪人 ・ 獄道 ・ 悪者 ・ 奸物 ・ 悪玉 ・ 大姦 ・ 極道者 ・ 姦賊 ・ 凶漢 ・ 兇漢 ・ 凶賊 ・ 悪漢 ・ 匪徒 ・ 伝法 ・ 匪賊 ・ 奸賊 ・ 兇賊 ・ 梟雄 ・ 大奸 ・ 成らず者 ・ 与太者 ・ 極道 ・ 悪党 ・ 人畜生 ・ 悪徒 ・ 姦人 ・ 姦物 ・ 悪人
 意義素     類語
容赦がなく残忍な人 無頼漢 ・ やくざ ・ あばれん坊 ・ あらくれ者 ・ フーリガン ・ 乱破 ・ 暴ん坊 ・ 凶漢 ・ 徒ら者 ・ 兇漢 ・ 荒くれ ・ 凶賊 ・ 暴れ者 ・ 暴漢 ・ 乱波 ・ あばれ者 ・ 暴れん坊 ・ 狼藉者 ・ 兇賊 ・ 凶徒 ・ 乱暴者 ・ 徒者 ・ 荒くれ者 ・ やくざ者
 
◆ならず者(ならずもの)/ごろつき/地回り(じまわり)/やくざ/暴力団(ぼうりょくだん)
出典:類語例解辞典(小学館
関連語 無頼漢(ぶらいかん) 無法者(むほうもの) 与太者(よたもの) ごろ ちんぴら
[共通する意味]
★正当な定職を持たず、たちの悪いことをして一般の人を脅かすような者。
[国語辞書で詳しい意味を調べる]
ならず者ごろつき地回りやくざ暴力団
 
[使い方]
〔ならず者〕
▽街のならず者
▽ならず者の集まり
〔ごろつき〕
▽ごろつきに因縁をつけられる
▽ごろつき連中
〔地回り〕
▽地回りにおどされる
▽地回りに顔がきく
〔やくざ〕(名・形動)
▽やくざから足を洗って堅気になる
暴力団
暴力団の抗争が激しい
暴力団を取り締まる
[使い分け]
【1】「ならず者」は、「不成者」と書き、まともではない者の意。無法で、おどし、たかりなどを行う者。
【2】「ごろつき」も、「ならず者」とほぼ同じ意味。「破落戸」と書くこともある。
【3】「地回り」は、近世、遊里などで地付きの顔のきく者をいった。現在では、
盛り場などを縄張りとして仕切る者をいう。
【4】「やくざ」は、いわゆるばくち打ちのことで、特殊な世界をつくり、親分、子分の関係などそれなりの仁義、
しきたりなどがあった。また、「やくざな男」のように、単に性行がおさまらない人をいうこともある。
【5】「暴力団」は、組長と組員から成る、無法なふるまいをする者の集団。
[反対語]
▼やくざ⇔堅気
[関連語]
◆(無頼漢) 一定の職業をもたず、素行の悪い男。ならず者。「あの男はこの町でも有名な無頼漢だ」
◆(無法者) 道理にはずれた、乱暴なふるまいをする者。「好き勝手をする無法者」
◆(与太者) 素行不良の若者。役に立たない者の意もある。「一見与太者風」
◆(ごろ) 「ごろつき」の略。「会社ごろ」「政界ごろ」などの形で使うことが多い。
常習的にその世界に出入りし、甘い汁を吸っている者をいう。
◆(ちんぴら) 一人前でもないのに、おとなぶったり大物をきどったりする者。転じて、不良少年少女
。「ちんぴらにからまれる」
 
◆ならず者 - 日本語を味わう辞典(笑える超解釈で言葉の意味、語源、定義 ...
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ならずもの.
ならず者とは、(何かに)成らない者という意味だが、どうにもならない者、
つまり手がつけられない、手に負えない、指導や矯正のしようがない悪者のことをいう。
してみるとならず者とは、確かにどうにもこうにもならないヤツかもしれないが、
前科者や容疑者やお尋ね者にはしっかり「成った」者なのである。(CAS)
 
◆ざん‐ねん【残念】
[名・形動]
1 もの足りなく感じること。あきらめきれないこと。また、そのさま。「残念なことをしてくれた」
2 悔しく思うこと。また、そのさま。無念。「負けて残念だ」
3 俗に、すぐれた素質や長所などをもちながら、それが発揮できなかったり、相殺されるほどの大きな短所を併せもったりしているさま。また、単に、良くないさま。「残念なアイデア
 
◆ざんねん【残念】
《名ノナ》期待や希望のようにならず心残りなこと。「―ながら欠席いたします」。(好機を逃して)くやしいこと。 「―無念」
 
◆ざん ねん [3] 【残念】
( 形動 ) [文] ナリ
①満足できなくて、心残りがする・こと(さま)。 「 -ですが紙数が尽きました」 「お会いできず-です」
②悔しく思う・こと(さま)。 「試合で弟に負けて-だった」
 
◆「残念な人」ってどんな人?
http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/danwa/2013022500005.html
細川 なるみ
 ――職場でこんなことを聞いて回ったのは、最近「残念」という言葉が以前とは違った意味で
 使われているのを確かめるためでした。
 返ってきた答えは、「一流大を出ているのに仕事ができない人」
 「熱意が空回りしている人」「頑張っておしゃれをしているのに、なぜかあか抜けない人」などなど。どこかずれている、
 惜しい人といったところでしょうか。
 自分でもそういう言い方をする、と答えたのは主に20~30代。
 40代以上になると「聞いたことはあるけど自分では使わない」
 「そんな言い方聞いたこともない」という反応が増えてきました。
 
 本来「残念」といえば、
 「残念な結果に終わった」「残念な出来事があった」などと、
 ある事柄について心残りだったり悔しかったりする気持ちを表したものですが、
 人や物を指して言うことはなかったように思います。
 朝日新聞の記事データベースで「残念な人」を検索してみると、
 「残念な人を亡くしました……」といったおくやみの言葉がわずかにヒットするのみ。
 亡くなってしまって残念だ、と故人を惜しむ言葉ですね。
 それがいつの間に、人をけなすような意味を持つようになったのでしょう?
 
◆ぶねん【無念・不念】
◆不注意。気がつかない(で残念な)こと。
むねん【無念】
《名ノナ》
1.心に何も思わないこと。 「―無想」
2.くやしくてたまらないこと。 「残念―」
◆無念(ムネン)
名・形動]
1 仏語。妄念のないこと。迷いの心を離れて無我の境地に入り、何事も思わないこと。正念。⇔有念(うねん)。
2 くやしいこと。また、そのさま。「無念な結果に終わる」「残念無念」[派生]むねんがる[動ラ五]むねんさ[名]
◆無念とは?
 [文] ナリ 不注意なこと。考えが足りないこと。また,そのさま。 「問ひもいたさいで-な事をいたいた/狂言・末広がり」
 
◆むねん【無念】
1 仏語。妄念のないこと。迷いの心を離れて無我の境地に入り、何事も思わないこと。正念。⇔有念 (うねん) 。
2 くやしいこと。また、そのさま。「無念な結果に終わる」「残念無念」
[派生]むねんがる[動ラ五]むねんさ[名]

◆むねんむそう【無念無想】
1 仏語。一切の想念を離れること。無我の境地に入り、無心になること。
2 しっかりした考えを持っていないこと。思慮のないこと。
「―の下部ども」〈浄・百合若大臣〉
 
◆むねん‐りゅう〔‐リウ〕【無念流
《「神道無念流」の略称》剣術・居合術の流派の一。
福井兵右衛門嘉平 (よしひら) を祖とし、門人の戸賀崎熊太郎によって広まったとも、
また、幕末の剣客斎藤弥九郎が教授したともいわれる。
 
◆残念と無念の使い分け

辞書で調べても、「無念」の諸解説の一つには「残念」と書かれていたりしますね・・・。

しかし、漢字の「念」は、正に「今+心」で、『今、生きている人間の思いや気持ち』の意味なのだと思います。
従って、「無念」は、「生きている念」が「無(念)」に成ってしまうのですから「死」を意味する。

「残念」は、まだ「念」が残っているのですから「生存」を意味するのだと思いますね。

無念:本来執着がない、何も思わないという仏教用語だったようです。無念無想とかいいます。

想像ですが、残念無念というのは、本来残念残念といっていたのが、どうもレトリック上面白くないし、と、ごろあわせでそうして、実に残念だという気分を表したのがいつのまにか残念=無念 になったのか?と思ったりします。
 
◆流祖 福井兵右衛門嘉平のこと

神伝不動流の歴史を解説したHPに次のようなデタラメな記述がある。

このような捏造された歴史は早急に訂正しておかないと、他流派にまで大きな迷惑になる。

以下、その要略 ( 『武芸流派大事典』 の記述に脚色を加えている)。

伯耆国大山、名和神社宮司の重村正秀は元禄十五年、十八才で文武の達人として有名であった。
正秀の祖先は、延元三年、尊氏と戦い討死。名和一族の重村掃部允五郎兵衛尉が弟、五郎兵衛正種の十二代の末孫で、
家伝の『鞴韜彪底之巻』一子相伝を得、有名であった。
後、下野国宇都宮で農家に一泊。その家の息、十八才の善平と言う者の凡ならぬ眼光・態度に感じ、武道を教えるに、
一を教え十を悟り、善平少年を連れてまた諸国を修行する。
出羽朝日岳、鼠谷で吉平と言う少年が小石で小鳥を打ち落とすのを見て感じ、この吉平も門人に加えて伯耆国に帰り、
三年後、両青年に極意を伝授する。
善平は宇都宮で福井兵右衛門善平と名乗り、神道無念流と称し、剣槍体術の祖師となり、
吉平は朝日奈五郎吉平と名乗り、神伝不動流の祖師となり、剣棒槍体術を世に広めた。

まず、神道無念流の祖、福井兵右衛門の諱は嘉平であり、善平ではない。しかも初名は川上善太夫という。

また神道無念流は以下の伝書に書かれているとおり、純粋な居合・剣術の流儀であり、槍術や体術は含まれていない。


福井の師は一円流の野中権内 (戸賀崎家の伝承では牧野円泰をその師としている) であり、
重村正秀なる人物は神道無念流にはまったく関係のない者である。

福井は一円流を極めた後、信州飯縄権現の夢想で老翁から居合の秘伝を授けられて開悟し、神道無念流を創始した。

よって神伝不動流なる武術ともまったく関係がない。